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水浦海岸鉄道

▲路線図

■水浦海岸鉄道について
 元々は水浦臨海鉄道という社名で、水浦にある港から陸揚げされる荷物を運ぶ、或いは沿線などからの荷物を港に運ぶ貨物専用の鉄道でした。
 しかし、水浦の港が小規模であったために、荷役の機能は別の港へ移転。沿線からの荷物などは全てトラックへと転換。更には水浦の港へ通じる線路も大規模道路を建設される用地とへ収用が決定し、水浦臨海鉄道は廃止に追い込まれた。
 それから何年か経ち、この地域は海洋資源に恵まれた土地であること、また海岸がきれいで海水浴場に適している事、そして小規模ながらも荷役が残る水浦の港の周辺ではマリンスポーツを中心とするレジャーが盛んとなり、水族館を建設したりなどの観光地化が進んでいた。そのアクセスツールは主要道路1本のみ…その道にはトラックなども多く、渋滞も頻発していた。この問題をなんとかしたいと、当時の水浦市長らは検討会議を立ち上げた。
 新たな道路を作る案も何度か出され、その用地の候補には旧水浦臨海鉄道の廃線跡が挙げられた。しかし、道路用地すべてをまかなうキャパをこの廃線跡は有しておらず、仮に完成しても片側1車線の狭い道路しか作れない等、根本的な解決方法とはならなかった。
 そこで思い切った策として『水浦臨海鉄道を観光路線として復活させてはどうか』という案が出された。当然、反対意見は出たが、当時はまだBRT(BusRapidTransit,バス高速輸送システム)が確約出来ず、時間に正確な公共交通機関を通すという点では、鉄道を検討する余地は十分あったのである。
 廃線から3年後、水浦市及び地元企業の出資の元で第三セクター『水浦海岸鉄道』が発足。路線は旧水浦臨海鉄道の廃線跡を有効活用し、道路へ転用されてしまった区間以外を復旧させることになった。あおぞら銀河鉄道東浦駅を起点に、観光地『水浦』の中心であり玄関口である『水浦海岸』までを結ぶ路線とし、全長31qの単線電化の鉄道となった。また、駅名の命名権(ネーミングライツ)を導入している。現段階では『黒澤宝石』駅のみがネーミングライツによって名付けられた駅名となっている(駅前に宝石加工及び販売を行っている地元企業である黒澤宝石店があり、ミュージアムを開館しているなど、アクセス性の面から)。



△本社社屋
 水浦海岸鉄道の本社は、海音崎駅近くにある。廃業してしまった元時計店の建物を買い取り、そこに本社機能を置いている。玄関口には、今でも時計店時代の店名が残っているが、簡単な修理や電池交換などは、現在でも行っている。そのため、時計店として使用しているスペースと営業部門の事務所が1Fを折半。2Fに応接室やらの機能がある。これは、この鉄道が『第三セクター』として誕生した時に、急遽事務所を構える際に、車両基地の片隅にプレハブなどで建物を構えるよりは、既存の空き店舗を有効活用した方がいいとかいう、地元自治体の意見などによるものである。そこで小規模ながら時計を販売、修理や電池交換などを行う部門を構えることで、実質的な副業を行うようになったのであった。


△(205系と)広報員『那珂』
 どこかの鎮守府で活躍していた艦娘(川内型軽巡洋艦3番艦)。艦娘の役目を退いて艤装などの装備品を返却後、水浦海岸鉄道の広報職員に就任した。

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